2010.03.05
感動の皿 NO1

1・夢の始まり ~決意そして旅立ち~
 
「いまに見ていろ!俺の夢を馬鹿にしたやつらを絶対に見返してやる」・・・。胸の中に熱い思いがこみ上げてきた、あの日。あれから23年の歳月が流れたのだ。
私は今、自分のレストランの窓から、神楽岡の豊かな緑とプラタナス並木を見ながら、ふと、ここに至るまでの自分を感慨深く振り返った。
 私の実家は、北海道の深川市で大手の美容室を経営していた。私は両親の愛情を一杯に受け、何の不自由もなく、恵まれ過ぎる程の環境で育った。しかし、東京に強い憧れを持っていた私は、地元の中学を卒業すると、思い切って東京の高校に進学することを決めた。昭和40年当時は、北海道の地方都市から東京の大学へ進学する人は少なかった。ましてや東京の高校へ進学する子どもなど、私の周囲にはほとんどいなかった。そんな時代の中で私の両親は、一人息子の夢を聴き、上京することを許してくれたのだった。
 そして始まった東京での一人暮らし。自ら望んだ生活とはいえ、実家ではいつも大勢の従業員や家族と一緒だったので、日を追うにつれ大都会での一人暮らしは決して甘いものではないことを自覚した。当然のことだが、食事、洗濯、掃除など、生活に関わるすべてを自分でしなければならない。この不自由さに、15歳の私は戸惑った。そこへ、予想を超える寂しさと孤独感が追い打ちをかける。憧れだけではやっていけない孤独な都会の暮らしに耐えられず、情けない話だが、高校2年の時、故郷の高校へ転入したいと実家へ帰ったことがあった。そんな私に、母は、東京へ戻って高校生活を続けるように厳しく諭した。泣く泣く東京へ戻った私。今思うと、あの時故郷に帰ったままだったら、今の私はなかっただろう。あえて私の弱音を受け入れなかった母の厳しい愛情に、今では感謝している。東京に戻った私は、以後、どんなにつらいことがあっても、「負けるもんか」と歯を食いしばって、東京にしがみついた。そして、いつしか、何事も自らの意志で決断し、突き進んでいく強い精神力を身につけていった。今振り返れば、この高校での3年間が今日の私の原動力となり、人格形成の基礎を作ったのではないかと思う。
 「将来の歩む道」、それを決定づけるきっかけは、大学2年の春にやって来た。私は、一流ホテルでホールサービスのアルバイトを始めることになったのである。当時の東京都内のホテルは、今日のようにだれもが気軽に利用できる場所ではなく、外国人と、いわゆる上流階級の人々が集う憧れの空間だった。豪華客船にでも迷い込んだような優雅さがあり、きらびやかな雰囲気が漂う近寄りがたい別世界のようだった。 
ある日のこと、私はルームサービスで料理を運んだ。食べ終わった皿を片付けに伺った時、非常に喜んで「こんなにおいしい料理を食べられて、本当に嬉しい!」と満面に笑みをたたえながら私に言った言葉と、幸せそうなお客様の様子を見て、私自身の心に強く感じるものがあった。
料理が人間をこれほど喜ばせるものならば、単にホテルでサービスをするより、もっとお客様に直接感動を与える仕事をしたい。そう思ったことが、私が料理人を志した原点だった。常日頃、情熱をかけて取り組めることを、自分の一生の仕事にしたいと考えていた私は、どうせなるなら、一流と言われる料理人になりたいと思った。そして、いつしか、フランス料理の本場であるパリで自分のレストランを持ち、日本人の私が作るフランス料理をフランスの人に食べてもらうという夢を描くようになった。そして、修行するなら本場で、と素直な気持ちで考えていた私は、大学を卒業したらフランスで料理の修行をすることを心に決めていた。「フランスで様々な外国の人たちと生活しながら料理の勉強をし、幅広い教養を備えたインテリジェントなコックになる。そして自分の料理でお客様を感動させるんだ」。私は、コック帽をかぶった自分が、まだ見ぬパリの店に立つ姿を想像して、胸をときめかせた。
 大学2年の秋、料理人になると決めてから、友人たちにもそう宣言し続けた。しかし、だれ一人として私の話を本気にしてはくれなかった。それどころか、「何も大学まで出て、コックになることはないだろう。頭がおかしくなったんじゃないの」と笑って取り合おうとしなかった。当時は大卒の人間は多くが大企業のサラリーマンになる時代だった。料理人になるなど、まるで笑えるような話だったのかもしれない。しかし、私の中では、真に好きな事、情熱をかけられる事を一生の仕事として選びたいと思っていたので、いくら馬鹿にされても決心は揺るがなかった。そして、私の夢を馬鹿にした人たちを見返してやるぞと、決意をさらに強くしていった。
しかし、そんな私も、高校、大学と7年間も東京で勉強させてくれた両親に対しては、なかなか言いだすことができずにいた。結局、私が自分の意志を両親に告げたのは、大学4年になってからだった。夏休みに帰省した私は、できるだけ軽い口調で言った。「俺は家を継がないよ」。「ああ」。あっけない程、短い会話だった。しかし、それは決して投げやりの返事ではなく、自分の息子を信じる精一杯の親の気持ちだったのではないだろうか。嬉しかった。ありがたかった。でも、何故か素直に「ありがとう」という言葉が出てこなかった。その時の私は、嬉しい気持ちと、親に対する後ろめたい気持ちが交錯し、形容しがたい複雑な心境だった。
 

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