2010.03.28
感動の皿 NO5
5・仏語の猛勉強
トーマス一家が私のために開いてくれたお別れパーティ。私は結局観光ビザで滞在できる3か月をトーマス家で過ごしたのだが、この間に知り合った人達が大勢集まってくれた。その気持ちは、私の心に染み入るようにうれしかったが、どんな慰めの言葉もその時の私には虚しく聞こえた。そんな中、「パパなら、滞在許可証をなんとかできるかもしれないわ」。一人のレディが私に声を掛けた。しかし、これまでトーマス夫妻をはじめ、多くの人が私の滞在許可証取得のために尽力してくれたが、良い返事は得られなかったのだ。せっかくの彼女の言葉にも期待が持てず、私はただ、漠然とうなずくだけだった。
それから3日後、帰国の準備をすっかり整えた私のもとに、ナントの市役所から突然電話が入った。電話に出たマダム・トーマスの口から「カルト・ドゥ・セジュール(滞在許可証)」の言葉が!マダムの声が次第に大きくなり、顔が紅潮してくるのが分かる。潤んだ目で電話を終えたマダムは「良かった、良かった」とまるで自分の息子のように私を抱きしめてくれた。土壇場の逆転勝利だ。
劇的に滞在許可証を取得することができた私は、トーマス夫妻の奔走によって、ナントの四つ星ホテル「フランテル」に就職することになった。運命的な出会いをいくつも重ねて、ついに料理人としての第一歩を踏み出し、夢の階段を上り始めるのだ。私は有頂天になっていた。「フランテル」で料理の総指揮をとっていたのは、後にレストラン「ポール・ボーキューズ」の料理長となる、ムッシュ・ジャン・ルーという名のフランス人。「フランス国家最優秀料理人賞(M.O.F)」を受賞している素晴らしいグランシェフだ。
待ちに待った初出勤の日。高鳴る胸を抑えてホテルの門をくぐった。「ボンジュール、君が日本からフランス料理を学びに来た、セガワさんですか」とジャン・ルー氏は右手を差し出しながら言った。とても優しいジェントルマンだ。私は、ほっとした。私はオードヴル・サラダ部へ配属された。何もかもが珍しく、野菜を洗ったり、ちぎったりする単調な作業の繰り返しも、全く苦にはならなかった。しかし、そんな楽しい日々は長くは続かなかった。2か月を過ぎたころから同僚の失敗を私の責任にされるようなことが度々起きるようになったのだ。悔しいけれど、私は反論できるほどの語学力がなく、自分の言いたいことを相手に伝えることができなかった。
屈辱的な日々に、眠れぬ夜。仕事を終え、アパートに帰ると、たまらない孤独感と絶望感に襲われた。そんな日がどれ程続いただろう。しかし、落ち込むだけ落ち込んだら、今度は、持ち前の負けん気が戻ってきた。「このままでは、だめだ」。そのころから、私は死に物狂いでフランス語の猛勉強を始めた。腰に赤と黒のマジックペンを下げ、聞いた言葉を書いていくことにした。しかし、厨房の中では手を止めてメモをとることができない。そこで冷蔵・冷凍室の整理を率先して引き受けるようにし、食材が入った段ボール箱に、耳にしたフランス語を片っ端からカタカナで書き留めていった。仕事が終わると、それをノートに書き写して家で意味を調べる。スペルが正確ではないので、一晩中かけても分からない言葉も多かった。ホテルの同僚に聞くと馬鹿にされるのは目に見えている。私は、メモを持って行きつけのカフェに行き、そこのギャルソン(ボーイ)にスペルや言葉の意味を教えてもらった。
必死で言葉と格闘する毎日を半年余り続けただろうか。この間の私は、料理よりもフランス語の修得に力を注いでいたように思う。しかし、その甲斐があって、少しずつ言いたいことがフランス語で話せるようになり、かつてのようなトラブルもなくなった。この経験から、言葉というのは生活に必然性がなければなかなか覚えられないことを実感した。ここでは、人に頼ることはできない。何事も自分自身で解決していかねばならないことを肝に命じた。
ある日、料理長が冷凍室の段ボールに書かれた文字を見て、私がここで勉強していたことを知り、私の努力を認めてくれた。それからが私の本当の料理修行のスタートだった。とにかく一流になるためには、人の何倍も努力するぞと、神経を張りつめて仕事に立ち向かった。
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